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【2021年3月】
建築を荘厳する絵画をめぐる受容美学的研究
―「国境」を越えた一つの花鳥画に関する国際共同研究の報告を兼ねて―
(デザイン?建築学系
井戸美里 准教授)
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建築を荘厳する絵画をめぐる受容美学的研究
―「国境」を越えた一つの花鳥画に関する国際共同研究の報告を兼ねて―
「絵」といえば何を思い描くでしょうか。多くの人が額縁に入った壁掛けの絵画を思いつくかもしれません。それとも、日本美術であれば琳派や浮世絵などを挙げる人もいるでしょう。
私が関心をもって研究をしている日本に古くからある襖や屏風などは、額縁に入った絵画とは異なり、建築空間とともにある調度です。現代では、襖や、特に屏風を目にする機会は美術館や博物館などの展示施設にほぼ限られるかもしれませんが、かつてはさまざまな居住空間のなかで使用されてきました。襖や屏風に描かれたさまざまな絵は、住まいの空間を彩り、人々の生活とともにありました。
では、少し想像力をふくらませてみたいと思います。このような襖や屏風は、どこから来たのでしょうか。これらは、平安時代の内裏、室町時代の社寺、江戸時代の城、有力商人の民家など、さまざまな建築空間において調度として飾られていたはずです。ただこれらの建物が永遠に存在するわけではないのと同様、襖や屏風も建物が焼失したりすれば運命を共にすることが多いでしょう。さらに、屏風については、襖のように常設しておくものではなくポータブルな特性ゆえ、時には蔵などにしまわれていたり、時には贈答や売却を通してほかの持ち主の手に渡ることもあったのです。
ここでご紹介するのは、海を渡り遠くアメリカのオハイオ州にたどり着き、今年、故郷に里帰りした100年ほど前に制作された屏風に関する研究です〔図1〕。
図1
Korean, Sea, Cranes and Peaches, early 20th century, colors on silk, gold leaf, 224.4 x 734.4 cm.
Dayton Art Institute, Gift of Mrs. Jefferson Patterson, 1941.22 (Pre-conservation). Courtesy of Dayton Art Institute.
デイトン美術館所蔵「海鶴蟠桃図」との出会いから2020年12月ソウルでの公開へ
私がオハイオ州のデイトン美術館所蔵「海鶴蟠桃図」〔図1〕を初めて調査する機会を得たのは2017年の秋のことでした。折しも、国際的な共同研究を推進するための助成金である科研費補助金「国際共同研究強化(A)」として採択された「やまと絵の場と機能をめぐる受容美学的研究」(15KK0037)のもと、日本の屏風を東アジアの美術史のなかで考えることを一つの軸として、国外における日本の屏風絵の受容について調べていました。この屏風については白黒の写真が存在し注、所蔵先がオハイオ州にあるデイトン美術館であることがわかりました。この写真から推察できたことは、本屏風には金箔が押されているようで、東アジアのなかで伝統的に描き継がれてきた花鳥が主題である、ということでした。後述するように、金箔を使用した屏風は東アジアのなかでも特に古くから日本で多く制作されてきたのですが、この屏風は、日本の金屏風とは何かが違うことは明らかでした。そこで、国際共同研究を一緒に行っていたKim Soojin氏(ソウル大学〔当時〕)に連絡を取ることにしました。Kim Soojin氏と私は、遡ること十年ほど前にハーバード大学イェンチン研究所で客員研究員としてともに学んでいたことがあり、彼女の研究していた韓国の同じ主題の金屏風(ホノルル美術館所蔵「海鶴蟠桃図」)のことがまず頭をよぎったのです。すぐに、デイトン美術館の学芸員Peter Doebler氏に連絡を取り、二人で調査をする機会を得ることができました。損傷も多く何度か修復を経ているようでしたが、遠く離れた異国の地での濃彩の鮮やかな金屏風との対面に二人で歓喜したのを覚えています。そこでの調査結果は、翌々日、オハイオ大学の美術史学科にて報告をしました「オハイオ大学での調査報告」(外部ページ)。この調査をきっかけとして、韓国の国外所在文化財財団の助成によって2018年からソウルに里帰りして修復が行われ、2020年12月から約二ヵ月間、韓国国立古宮博物館にて一般公開されることになりました。
注 本作品の白黒写真は、小川裕光、板倉聖哲編『中国絵画総合図録 三編第一巻 アメリカ?カナダ篇』(東京大学出版会、2013年)に収録されている。
何が描かれているのか―花鳥画の世界―
ここに描かれているのは、東アジアのなかで広く描かれてきた吉祥的なモティーフばかりです。たとえば、長寿の象徴としての〈鶴〉〔図2〕、枯れることなく青々とした常緑樹の〈松〉に加え、中国の伝説上の仙女、西王母が住む山で三千年に一度しか実をつけない〈桃(蟠桃)〉〔図3〕、さらに、不老不死の仙薬とされる霊芝(れいし)〔図4〕など、いわゆる理想郷(仙境)のイメージが表現されていると考えられます。このような主題やモティーフは慶事などにふさわしく、この屏風には、安寧や長寿などの願いが込められていることは想像に難くありません。
中国由来の吉祥的な性質を備えた花鳥画は、中国のみならず朝鮮半島や日本、琉球でも好んで描かれた主題でした。これらの花鳥画は、贈答品や貿易品として東アジアの国々を行き来していました。日本へも中国や朝鮮半島との交流を通して多くの花鳥画が流入していたと考えられていますが、日本の花鳥画は、特に金屏風に描いたものが、中国や朝鮮の王宮で好まれたことが知られています。つまり、花鳥画は、もとは中国に由来する技法やモティーフを基にしながらも、日本では金屏風として発展を遂げ、それが贈答品として輸出されていったのです。このように花鳥画は、東アジアの間で互いに影響を与えながら発展していったジャンルであり、住まいの空間で享受されていたのです。
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図2
(図1 部分図)
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図3
(図1 部分図)
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図4
(図1 部分図)
どのような素材が使用されているのか―金地の屏風―
実は、花鳥を描く金屏風は日本の「特産品」として海外に向けて制作されてきたことが、歴史の記録類などから明らかにされています。デイトン美術館所蔵の作品のように画面に金箔を押した屏風は、一見すると日本の金屏風のように見えるのですが、実際には、日本で使用されている金屏風の金箔の大きさと比較すると箔の大きさがかなり小さく、それゆえに、画面に押されている金箔の量は膨大な数になります〔図5〕。さらにこの屏風の表装は、何度かの修復を経ていることもあり、日本の表装に近いですが、決定的に異なるのは、屏風全体の大きさです。この屏風は高さ2メートルを超え、この大きさの屏風は日本の居住環境には適していません。大きさに加えて、日本では紙の屏風が多いですが、ここでは絹が使用されており、この点も併せて日本の屏風である可能性は低いことがわかります。絹地の損傷や顔料の剥落も見られるものの、金箔をふんだんに使用し、豪華な顔料を施したこの巨大な屏風は、為政者の住まいを彩るにふさわしい花鳥画と言えるでしょう。それでは、この屏風はどこで生まれたのでしょうか。
図5
(図1 部分図)
誰が、いつ、どこで描いたのか―国境を越えて―
屏風がデイトン美術館に寄贈されたのは、1941年のこと、アメリカ人のCharles C. Goodrichがアメリカの日本のディーラーを介して購入したようで、もともと日本の作品として購入し、邸宅で使用していたそうです。デイトン美術館の作品台帳にも、18世紀の日本の作品として記録されていました。それが、アメリカ人の中国美術史の研究者であった、Sharman Leeによって中国絵画であると鑑定され、今度は中国の作品として同美術館に伝存してきました。今回の共同研究の結果、この屏風が制作されたのは朝鮮半島であるとの結論に至りました。中国文化圏に共有される理想郷的で吉祥的なイメージを散りばめたこの花鳥画は、主題やモティーフをみれば、中国?日本?朝鮮いずれも可能性はありました。素材のうえでは、絹地に金箔を使用しており、日本のものである可能性がないわけではありませんでしたが、この主題で2メートルを超える絹地の金屏風の作例は日本には珍しく、金箔の大きさや技法のうえでも日本で制作された可能性は低いと判断しました。それでは、朝鮮半島では金箔を使用した屏風はあったのでしょうか。実は先に少し述べたホノルル美術館にある同じ主題の屏風こそが、金箔を使用した非常に珍しい例とされてきたのです。今回デイトン美術館の屏風の出現により、もう一点、朝鮮の王宮における金屏風の作例が追加されたことになります。時代としては、Kim Soojin氏の研究によりホノルル美術館所蔵「海鶴蟠桃図」が1902年に高宗のために制作されたとされるため、同様の主題をもつ本作品もまた、朝鮮の王宮で20世紀初頭に制作された可能性が韓国側の研究者によって指摘されました。このような吉祥的な花鳥画、特に、〈鶴〉や〈蟠桃〉を海に配する理想郷のイメージは古くから朝鮮の王室で愛好されてきた主題でしたが、デイトン美術館の本作品に見られるこの巨大な大きさは、日本の植民地下の朝鮮において、急速に導入された西洋式の宮廷建築のなかで鑑賞されていた可能性がわかってきました。
日本から海を渡った花鳥の金屏風は朝鮮時代の宮廷においても模写されてきたことが知られており、事実、朝鮮時代に模写された日本風の金屏風の作例(たとえば、サムスン美術館リウムに所蔵される「金鶏図屏風」)なども、かつて「国籍」について物議を醸した作品でした。このような屏風は、韓国美術史の研究者から見れば主題やモティーフの点でも技法的にも異例であり、日本美術史の研究者から見ても明らかに日本の作品には見えず、いわば「国籍不明」のような存在でした。こうした作品は、近代国家の成立によって明確な国境線が引かれた現代の状況からすれば、どこの国籍にも属さない「異質」な作品とうつるかもしれません。ですが、これまで見てきたように、中国文化圏に共有されていた吉祥的な花鳥画は、かつては国境を越えて自由に往還していましたし、影響関係も決して一方向的ではなかったはずです。このハイブリッドな要素こそがかつて頻繁に行われていた文化交流の証とも言えるのでないでしょうか。それぞれの国や地域の美術の特性を明らかにすることが重要であることは言うまでもありませんが、国籍探しではなく、国を越えて共有され、伝承されてきた文化の豊かさについて明らかにしていく。このような国際共同研究の視点を再認識させてくれたのが、今回のこの屏風の出現だったのではないかと思います。とはいえ、この屏風が制作された朝鮮半島はこの時期、日本の植民地期であったことも事実です。東アジアに根差した共通の土壌が帝国主義のもと再発見され、「東洋」の伝統が統合原理として利用されていた時期でもあります。この屏風が制作された20世紀初頭には日本人の画家も朝鮮の宮廷絵画の制作に関与していたこともあり、それまでの「ハイブリッド」とは明らかに性質を異にしています。この度の修復を通して、屏風の下張りから日本語が見出されたことなども判明し、この屏風は1920年代後半にアメリカで売却するため、おそらく現地で「日本風」の表装に修復された可能性も指摘されました。このような事実を十分に認識したうえで、それでもなお、この屏風が拓いてくれた一つの国家を越えた対話の可能性を信じ、これからも国際共同研究を継続していきたいと思っています。
修復後
Korean, Sea, Cranes and Peaches, early 20th century, colors on silk, gold leaf, 250 x 780 cm.
Dayton Art Institute, Gift of Mrs. Jefferson Patterson, 1941.22. Courtesy of Dayton Art Institute.
デイトン美術館にて、Kim Soojin氏とともに
※この屏風の調査から公開に至る経緯については、ARTnews(February 8, 2021)で紹介されました。
【主な発表論文】
- 井戸美里「「東洋画」としての花鳥図―十九-二十世紀初頭の朝鮮の宮廷における日本人画家の活動を通して―」『東洋文化研究所紀要』173冊、東京大学東洋文化研究所、2018年
- 井戸美里「海を越えた花鳥画」『視る』501号、京都国立近代美術館、2019年
- 井戸美里「屏風絵と貴族社会」(ハルオ?シラネ編『東アジアの自然観 東アジアの環境と風俗』東アジア文化講座 第4巻、文学通信、2021年)
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